忠誠心と生きがいの関係

あなたはなぜ今の職場にい続けているのでしょうか?

津田慶

1/16/20261 分読む

「あなたは、なぜ今の職場にい続けているのでしょうか?」

忠誠心、という言葉を使うと、少し古臭く感じる方もいるかもしれません。
愛社精神や終身雇用といった言葉と一緒に、
もう過去のものだと思われがちな概念かもしれません。

それでも、「誰に、何に、どこまで心を向けているのか?」
という問いは、今も私たちの働き方の中に、確かに残っているはずです。

先日のキャッチアップセッションでふとこの話題が出ました。

強い忠誠心を持ち、その愛社精神を惜しみなくSNSで発信している方々がいる、という話です。仕事柄、自社の投稿をリポストしたり、コメントを入れたりしている方もいらっしゃることでしょう。

では、忠誠心とは、そもそも何に向けられるものなのでしょうか?

会社でしょうか、
組織でしょうか、
それとも、
上司や一緒に働く仲間でしょうか?

辞書を引いてみると、忠誠心とは、
ある対象に対して裏切らず、誠実に従い、尽くそうとする心
といった意味合いで説明されています。

その対象として想定されているのは、国家や組織、主君など、
自分より上位にある存在であることが多いように感じます。

では、
忠誠心は一方通行なのでしょうか?

社員が、上司や組織、会社に対して一方的に抱くものなのでしょうか?
もしそうだとしたら、その見返りは何なのでしょうか?

私が企業人だったときのことを思い返してみました。
人が忠誠心を抱く背景には、必ず理由があります。

守られているという感覚。
尊重されているという実感。
成長の機会を与えられているという手応え。
困ったときに、簡単には切り捨てられないという信頼。

こうした経験の積み重ねがあって、はじめて
「この人たちのために」「この場を大切にしたい」
という気持ちが生まれていたように思います。

そういった忠誠心を育む仕組みとして、
ストックオプションのような制度を用意する会社もあります。
会社の成長と個人のリターンを結びつける仕組みです。

ただ、ここにも現実があります。
誰に、どれだけ提供するのか。
その判断を下すのは、結局のところ「会社」という抽象的な存在ではなく、
上に立つ人たちです。

どんなに制度が整っていても、
評価や配分、例外の判断には、必ず人の意思が介在します。
そう考えると、忠誠心の向き先を「会社」と表現するのは、
どうしても無理があります。

実際に人が忠誠心を抱くのは、
理念そのものよりも、それを体現している誰か。
組織図よりも、日々向き合っている上司や仲間です。

約束を守る人。
説明から逃げない人。
不利な状況でも、矢面に立ってくれる人。

そうした人に対して、
「この人の判断なら受け入れられる」
「この人たちとなら続けられる」
という感情が生まれます。

だからこそ、その人たちがいなくなった瞬間に、
忠誠心がふっと消えてしまう...

それは、裏切りでも、気まぐれでもありません。
忠誠心の対象が、最初から「人」だっただけの話です。

人は変わりますし、関係性も変わります。
そして、ときにその関係が、もう成り立っていないことに、
気づくこともあります。

だから、忠誠心が消えたこと自体を、
失敗や裏切りとして片づける必要はないのだと思います。

忠誠心は、最初から永遠を約束されたものではなかったからです。

それがほどけたとき、
私たちは「何に支えられて、ここまでやってきたのか」を改めて問うことになります。

その瞬間、
生きがいに光が差し、
これまでぼんやりしていた輪郭が、
ふっと浮かび上がることがあります。

私は、キャッチアップセッションを通して、
そうした場面を何度も見てきました。

何かを失ったように見えるそのタイミングで、
実はその人が本当に大切にしてきたものが、
はっきりと見えてくる。

忠誠心が消えることは、
生きがいがなくなることではありません。

むしろ、生きがいの輪郭が、
くっきりと浮かび上がる瞬間なのです。